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東部だより
中国旅行紀行文 (2011年6月4日〜10日)
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株式会社山口ナット顧問
田中 利彦
−都江堰と成都の発展−
 

8日 朝食後9時にホテルをチェックアウトして2時間弱掛けて九寨溝/黄龍空港に移動する。確か機材はエアーバスで比較的新しいもので飛行は快適そのもの、35分くらいで成都着、前回と同じガイドが出迎えてくれる。

今日は世界文化遺産で観光の目玉の「都江堰」に向かう。空港から2時間のドライブだが、成都の町の大きさ、建築ラッシュ、新しい外資及び現地資本の企業群の進出は物凄く、成都は大工業地帯に変貌しつつある。恐らく此処15年かそこいらで昔の成都と今の成都とは隔世の感がするのではないかと思われる。

道路の整備もどんどんと進み片道3車線のコンクリート舗装の道路が延々と真っ直ぐ伸びているのには驚きだ。聞くところによると四川大地震で大きな被害を道路も受けて、成都市には資金が足らないので北京政府は上海市に命令して道路を建設させたといわれる。中国政府のやり方には我々は理解し難いところもあるが、成都市をリッチな上海市から強引に金を出させ復興させるというやり方は脆弱な日本政府では強引さにおいて全然勝負にならない感じを強く持ち、この国の恐ろしさを肌で実感した。この意味で成都の人たちは上海に凄く恩義を感じているようだ。

さて、都江堰だが、私はこの存在を全然知らなかったが現物を見て、ガイドの説明、その後のネットでの記述から2千年以上前に軍事目的からこの堰がつくられたこと、そのために成都に充分な水が供給され、農地に必要な水が豊富に得られることから成都の豊かさが生まれたことを知り、当初は軍事目的とはいえ結果として今日の成都、四川省の繁栄に結び付いたものでした。

そして今は大工業地帯として大発展の道をまっしぐらに進んでいることです。
土地が豊かであったことから政治の世界でも著名なテンシャオピン(ケ小平)他数々の政治家を生み出していることをガイドの説明からも知りました。

都江堰の見所は魚の嘴と言われる長江を本流(外江)と傍流(内江)に分ける箇所だ。昔は石と繊維質で固めたもので嘴の先端をつくっていたが、現在のそれは勿論コンクリート製で耐久性があるが水が分かれた外江の方には水門があり、そこで双方に流れる水量をコントロールしていて都に流れる水量の過不足を調整している。このような大工事の発想が2000年以上前に出来ていたのは素晴らしい。

都江堰の魚の嘴に行くのには若い人たちは簡単に歩けるが、吊橋を渡ってからその場所には有料のカートに乗って見に行く。長江の流れは大きくて早い。上流にはダム、発電所があるが大観光地としての都江堰に影響を与えないような住民運動も長く続いているようだ。

観光も疲れたので、程々にして車に戻りホテルに向かう。夕食は市内の立派なレストランで久々に蛇を食べる。ガイドは蛇を食べたことが無かったようで大分躊躇していたが、食べてみたら結構美味しかったようだ。一寸小骨が沢山あった。

食後、足腰というか全身が疲労困憊しているので周鳴の従姉妹?に電話してどこか良いマッサージ屋さんに連れて行ってもらうように頼む。ホテルにトヨタカムリの綺麗な車でやってきた。4名で大きなマッサージ屋さんに連れて行ってもらい、2時間揉んでもらう。確か180元くらい。

従姉妹は34〜5歳くらいの理知的な人で聞いたら警察の医師だと言う。その後の話で私が英語ではmedical examiner検死官ですかとの問いに「對」dui との返事があり、参考までにアメリカの検死官を題材にした本を後刻贈ることを約束した。彼女は本当のエリートだ。夜遅くホテルに戻る。

 

−楽山大仏−
 

9日 朝食後世界遺産の楽山大仏の観光に行く。片道1時間半くらいか、多くの人たちは大仏に歩いて登るのだが我々にはきついので、観光船に乗って川を下り、ライフジャケット着用で大仏を船上から観察する。確かに大きい、沢山の人たちが蟻のように登っている。下船後、早めの昼飯を終えてから成都空港に向かう。途中私は白色のジャケットをホテルに置き忘れたようだったので、周鳴に電話してもらったら確かに部屋にあったので空港に届けてもらう。

空港では旅行社の人間から忘れ物を受け取ったが、周鳴は九寨溝での旅行社の手配ミスを厳しく詰問していた。彼女いわく旅行社に予め全額送金したのは誤りで、2/3だけ支払っておけば彼らのミスした分は差し引いて残額を払うことが出来たのにと悔しがっていた。これが中国スタイルなのだ。

−再び上海へ―帰国
 

午後2時半頃のフライトで上海浦東空港に戻る。雨の中チョウミンが何時もの車でピックアップしてくれる。上海大厦ホテルにチェックイン。彼女はそこの経理と懇意なので高い時は一部屋2000元もするのに今回は800元位で済んだ。

夕食は周鳴が前々から手配した素晴らしいレストランで、今回は周鳴の姉も加わり計7名での食事となり、流石に上海の料理は美味く雰囲気も抜群で旅の締めとして良い思い出となった。

周鳴の姉は元歌手で息子は横浜に住んでいて上智か法政の生命科学科に進学すべく代々木ゼミナールに通っている由。

チョウミンの車で翌日は朝食を上海で一番美味しいとされる飲茶の店で、久々の美味い飲茶がとれたが、飲茶の料理もその昔香港でよく食べたものとは少し異なり、上品な目新しいものも多く出た。小籠包も美味かった。

浦東発13.10 NH 920 成田着17.00で無事に帰着。目出度し、目出度し。

総じて感じたことは中国の社会は格差が大きいが、今回巡り合った人々は皆さん社会での成功者で裕福な人たちであった。至るところで新しいビルが建築され、車が多く、また車も高級車が凄く多くなっていて中国の繁栄振りが窺えた。
つたない旅行記辛抱してお読みいただき有難うございました。

  2011年6月15日 田中 利彦

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